極彩色サナトリウム

此処はちぐはぐサナトリウム 灰色の花さえ極彩色に変わりましょう  くすんだの貴方の心さえ極彩色に彩りましょう ご来院の際はお足元にどうぞお気を付けて 

2014年09月の記事

呼吸が鼓動が大きく聴こえる 生きている内に

お早う御座います、毎回長く留守をして仕舞うので、冒頭の言葉に困って仕舞う、実は生きて居た花彩です。(笑)
二つ下の記事じゃあ記事を後三つ上げるなんてご大層なことを言っちゃってますが、見事に企画倒れしてますね、ご免なさい。
有言不実行、良くないですね。
今更お見せする顔も無いブログ管理者ですが、ぱちぱち拍手を下さる方が未だにいらして下さるので、そんなお優しい読者様に甘えさせて戴いて、久々に文字を連ねようかと思い立ちました。
そんなに長くはしない・・・予定です、多分。
・・・嘘です、絶対長く為る予感がします。(笑)

ええと、六月二十日には顔をお出しして居りませんが、実は此のブログの八歳のお誕生日だったりしました。
此処迄来ると、もう愛着が湧かない方が可笑しいですよね。
愛しい愛しい私の居場所。
今と為ってはもう恥ずかしくって昔の記事なんて読めたものでは無いですけれど。
其れでも此処は私が生きて来た証拠であり足跡です。
そして昨日二十四日は私自身のお誕生日でもありました。
そんな切っ掛けが有ったので、浮上して来たと云うのも有ります。
今年の花彩は構ってちゃん為らぬ祝ってちゃん。(笑)
取り敢えず身の周りの方々に祝い倒して戴きました。
家族は勿論、Twitterでお世話に為って居る方々、頑張って続けて居る英会話の先生方や生徒さん方、昔からのお付き合いのお友達。
両手じゃあ足りない位の尊い「おめでとう」を戴きました。
其れ等は未だ私の胸の中できらきらと瞬いて、私を眠らせて呉れないのです。
嬉しい、こんなにも純粋に。

ずっとずっと死にたがりだった私。
はっと気づいて生きたがりに成った私。
其れでも実は毎年お誕生日は苦痛で、ひとりでこっそり泣いて居ました。
此の歳に成ってやっと判った泪の理由は色々で、例えばママの抱擁が必要だったり、パパの声が欲しかったり、大きな大きなプレゼントを期待したり、やっとこさ生きた一年と、又よいしょと生きねば為らぬ一年を前に、怯えて震える足を手を支えるだけの何か"特別"が欲しくて仕方が無かったのだと想います。
去年の夏、愛猫を亡くしました。
死と云う名の、どうしようも無い「現実」を知りました、知らざるを得ない時が、人生には有るのだと知りました。
母も私も、元々持つ病気を悪化させました。
一年経った今、やっと少し軌道を修正出来る様に成りました。
母は遠くを見て言いました、「十七年間、老いた猫が生きて死んだだけの、只其れだけの現実よ。」
私はとても、書いて字の通り腑に落ちました。
ごちゃ混ぜに為った生と死が、私のお腹にすとんと、納まりました。
嗚呼、私は一年間生かされ生きて、そして又一年、きっと生かされ生きるだけのことなんだなあ、と。
其れは有り難いことに今の私の身体機能からして見れば至極当然のことで、どうしようも無い「現実」なんだなあ、と、すんなり想ったのです。
そして其れは過去の自分からして見れば驚くべきことに、何ひとつ恐いことではありませんでした。
与えられた生命を生きる、只其れだけのこと。
気付いたら、只其処に広がる世界は美しかったです。
泣くことなんて何ひとつ無い。

はい、何だか良い感じに何が言いたいのか伝えたいのか意味が判らなく為って来たのでひとことに纏めてみます。(笑)
色々有るけど、私元気に生きてるよ!
其れだけ。

偶には良く言えばシンプルに、悪く言えば尻切れトンボに、記事を終えてみることにします。
Twitterなんかでは割とネット活動して居りますので、もし其方でお付き合い戴ける方は其方で。
今も此のサナトリウムの患者さんだよ、って方は、どうか、是非、又いずれ。
両手いっぱいの有り難うを込めて。



花彩
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