極彩色サナトリウム

此処はちぐはぐサナトリウム 灰色の花さえ極彩色に変わりましょう  くすんだの貴方の心さえ極彩色に彩りましょう ご来院の際はお足元にどうぞお気を付けて 

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明日も訪れる何かが 正しいやさしいであれ

お仕事駄目に為りました。
ずっと此処には書かまいと思って居ましたが、花彩は九月末から大学資金を貯める為に夜の街で働いて居ました。
画塾の先生が紹介して下さった、小さなビルの一室に在る小さなスナックです。
お気付きだった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
・・・はぁ。
書いたら少しすっきりしました。
隠し事はしたくない主義なもので。
母親からは「安易過ぎる」「甘く見るな」「もう話もしたくない」と絶縁されても、自分には此の道しか無いのだと信じて、「何と言われようとやるから」と啖呵を切って、其の言葉に嘘が無い様に夜な夜な泣き乍らでも働いて居ました。
体重はみるみる減ってゆきました。
仕事を始めてから四~五キログラム位。
お店のママには私と同い年の息子さんと、私より一つ上の娘さんがいらっしゃいます。
其れを踏まえた上で、私の病状を知って此れ以上働かせるのは無理だと仰いました。
日に日に頬が削れてゆく私を働かせるのはもう無理だから、後少し元気に為ったら戻っておいで、と。
優しい言葉程痛いものです。
又私は不要物として看做[ミナ]されたのかと、泪が止まりませんでした。
けれどママは私を元気付ける様に、お店を早くに閉めて息子さんも呼んで、カラオケ大会を開いて下さったり、近くのバーへ連れて行って下さって、ダーツ大会を開いて下さったり、食べられなかったけれど美味しいと評判の配達のサンドウィッチやホットサンドをご馳走して下さったりしました。
ずっとずっと無力な自分が憎くて仕方が無かったです。
お店の経営状態も良くないのに貴重な一日を使ってして下さった精一杯の好意。
酷いことも沢山言われたし、セクハラだって沢山受けた。
其れでも今と為ってはあのお店が恋しいのです。
こんな私でも戻れる日が来るのでしょうか。
屹度[キット]其れは私の努力次第なのでしょう。

少し前のこと。
仕事帰りに母の部屋の前を通ると消えて居た電気が突然点きました。
絶縁して居たと云うのに、とても穏やかな口調と態度で話し掛けて来ました。
「もう頑張るの止めようよ、もう充分あんたは頑張ったよ」
じゃぁ誰が大学費を払って呉れるの?
「誰かしら払って呉れる、何とか為る、大丈夫だから」
でも未だ私は動けるし働ける、未だやれる。
私は母の言葉を呑み込みませんでした。
後日母は私の病院に着いて来て、先生と面談をして居ました。
入院の話(初診時からずっと出て居る話なのです)、薬の管理の話。
他は先生が伏せて居て下さった様でした。
帰ってから母と話をしました。
薬の管理を母に任せるのは絶対に厭だったので、其の旨を伝えました。
そして私は残酷な言葉を吐きました。
「(優しい言葉なんて無しに)放って置いて呉れた時の方が余程楽だった」
其れから母は泪目に為りつつも、簡単な約束事を三つだけして部屋を出てゆきました。

今日帰って来たのが四時頃。
しゃくり上げ乍ら帰宅しました。
母は寝ずに待って居て呉れました。
「良く頑張ったね」と何度も言って、笑顔で数年振りに抱き締めて呉れました。
私の泪は止まらなかったけれど、色々な話をしました。
自殺未遂をしたことも、リストカットのことも、落ち着いて聞いて呉れました。
カッターを持って振り回していた母とは別人の様でした。
こんな話をこんな風に聞いて呉れたのは初めてのことだったのです。
そして、
「何も求めないから、只優しい子に成って欲しい」
とだけ切願して来たのでした。

バイトは如何するの?
大学は?
画塾は?
リストカットも止められない。
ODはしたい。
一層死んで仕舞いたい。
大丈夫じゃないことだらけの生活の上でも、少しだけなら大丈夫だと思っても良いのではないかと思えました。

今日はどんな一日に為るんだろう。
死ぬ勇気が無い以上、生かされて居る私は今日も頑張らなくては為りません。
一度でも笑えたら好い。
今は泪で画面が良く見えないけれど。
其れなら一度でも笑おう。

良し。
さぁ、行こう。
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